新宮市出身の作家・中上健次の代表作「枯木灘」の自筆原稿が見つかり、遺族から新宮市の「中上健次顕彰委員会」へ寄贈されました。
見つかったのは、文芸誌「文芸」に連載された「枯木灘」のうち、1976年11月号に掲載された第2回の自筆原稿です。400字詰め原稿用紙99枚にわたり、作品が生み出されていく過程をうかがえる貴重な資料となっています。
今回寄贈された自筆原稿の複製は、2026年8月11日から新宮市文化複合施設「丹鶴ホール」の図書館内にある「中上健次コーナー」で展示されます。
中上健次の生誕80年という節目の年に、故郷・新宮市へ戻ってきた貴重な原稿。この記事では、今回の寄贈や発見の経緯、展示について紹介します。
この記事で分かること
- 中上健次「枯木灘」の自筆原稿について
- 自筆原稿が発見された場所と経緯
- 新宮市への寄贈について
- 丹鶴ホールでの複製展示について
- 中上健次と新宮市との関わり
中上健次「枯木灘」の自筆原稿が見つかる
今回見つかったのは、新宮市出身の作家・中上健次(1946~1992年)の代表作「枯木灘」の自筆原稿です。
「枯木灘」は、河出書房新社の文芸誌「文芸」に連載された作品で、今回発見されたのは1976年11月号に掲載された第2回の原稿です。
自筆原稿は400字詰めの原稿用紙99枚に及びます。
原稿には創作や改稿の過程が残されており、完成した作品を読むだけでは分からない、中上健次が作品を書き上げていく過程を知ることができる貴重な資料です。
「枯木灘」の自筆原稿の写真は、47NEWSの記事で確認できます。
→ 自筆原稿の写真はこちら(47NEWS)
新宮市も今回の発見を「貴重な発見」としています。
2026年5月に河出書房新社の倉庫で発見
自筆原稿が見つかったのは、2026年5月です。
「枯木灘」を掲載した文芸誌「文芸」の発行元である河出書房新社の倉庫から発見されました。
発見後、自筆原稿は中上健次の遺族から、故郷である新宮市の中上健次顕彰委員会へ寄贈されています。
1976年に掲載された作品の原稿が約50年を経て発見され、さらに中上健次が生まれ育った新宮市へ戻ってくることになりました。
長女・中上紀さん「ふるさとに帰り、ほっとしているのでは」
寄贈については新宮市内で記者発表が行われ、中上健次の長女で作家の中上紀さんも出席しました。
中上紀さんは自筆原稿について、本人そのもののように感じるとしたうえで、2026年が中上健次の生誕80年にあたることにも触れ、故郷へ帰ってきたことへの思いを語っています。
中上健次は1946年に新宮市で生まれ、1992年に46歳で亡くなりました。
2026年は、その誕生からちょうど80年となる節目の年です。
8月11日から丹鶴ホールで自筆原稿の複製を展示
今回寄贈された自筆原稿は、複製が2026年8月11日から一般展示されます。
展示場所は、新宮市文化複合施設「丹鶴ホール」の図書館内に設けられている「中上健次コーナー」です。
展示概要
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 展示開始 | 2026年8月11日 |
| 展示資料 | 「枯木灘」自筆原稿の複製 |
| 場所 | 新宮市文化複合施設「丹鶴ホール」図書館 |
| 展示場所 | 中上健次コーナー |
今回展示されるのは自筆原稿そのものではなく複製となるため、その点には注意してください。
普段から丹鶴ホールの図書館を利用している方にとっても、新宮市が生んだ作家の創作の跡に触れられる機会となりそうです。
「枯木灘」とは
「枯木灘」は、中上健次を代表する作品の一つです。
中上健次は新宮市をはじめとする紀州・熊野を背景にした作品を数多く残しており、その文学と故郷とのつながりは非常に深いものがあります。
今回自筆原稿が見つかった「枯木灘」も、中上文学を語るうえで欠かすことのできない作品です。
完成した小説だけでなく、実際の自筆原稿を見ることで、文章がどのように書かれ、手を加えられながら作品になっていったのかを感じられるのも、今回の展示の大きな見どころといえるでしょう。
中上健次の故郷・新宮市に貴重な資料が戻る
中上健次の生誕80年となる2026年に、代表作「枯木灘」の自筆原稿が発見され、故郷・新宮市へ寄贈されることになりました。
約50年前に書かれた原稿が河出書房新社の倉庫で見つかり、中上健次顕彰委員会のもとへ戻ってきたことは、新宮市にとっても大きな出来事といえます。
自筆原稿の複製は、2026年8月11日から丹鶴ホール図書館内の「中上健次コーナー」で展示されます。
中上健次の作品を読んだことがある方はもちろん、地元・新宮市と中上文学とのつながりに興味がある方も、この機会に足を運んでみてはいかがでしょうか。
参照元:47NEWS 中上健次の自筆原稿、故郷に寄贈 代表作「枯木灘」、和歌山・新宮



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